アラブの郷愁
#わたしとアラブ文化との関わりを書いた内容であり、かなり私的な思い出話です。
幼いころから興味を持っていたのが、ギリシャ・ローマ神話、ヨーロッパ文化だったため、アラブに関しては非常におとぎ話チック、つまりアラビアンナイト、千一夜物語を読む程度に留まっていた。
漠然と、砂漠の夜に月が浮かび、月に照らされてラクダに乗ったお姫様が広々とした砂の海を渡っていくという幻想的な風景を思い浮かべるのは、有名な歌「月の砂漠」に誘発されたものだろう。それは素晴らしく幻想的な風景で、神話やおとぎ話、ロマンチックなことが好きなわたしの想像をおおいに掻き立てた。どこの国のどのような砂漠、どんな宗教や人種、生活様式といったものは一切想像が及ばず、ただその風景だけが淡く脳裏に焼き付いていた。いつか満点の星空を仰ぎみがら砂漠の真ん中で歌うといったことを想像してみてた。それは想像の中ではとても素敵な光景で、ロマンチックだなぁ、と漠然と思っていたのだ。
同じような事を考える人がいたのか、そして現実はそうなのか! と衝撃を受けたのが、沢木耕太郎著「彼らの流儀」に収められている「砂漠の雪」を読んだときである。実際に同じようなことを考えた大学生は、わたしのように妄想では終わらせず、わざわざ砂漠まで楽器(ギター)を持ち込んで、夜、弾いてみたというのである。彼がその時のことを筆者に語るには、実際の砂漠は壮大でその沈黙は恐ろしいほどで、ギターの音は全く頼りにもならない音の粒として空中に溶けていくばかりだったと。想像していたようなロマンチックさはなかったというものだった。
なるほど。わたしが想像している砂漠は絵本の中に存在するような、人が想像する共に暮らしていける穏やかな自然だ。本物の砂漠というのはそんな生ぬるいものではなく現実の自然であり、人はそこでは本当に小さなものなだという認識を新たにした。
このようなおとぎ話のような砂漠のイメージしか持っていなかったわたしが次にアラブ文化の知識に触れたのは、神保町の古本屋市で手に入れた片倉もとこ著の「アラビア・ノート」がきっかけだった。
これは1960年代にサウジアラビアの遊牧民のもとに滞在した文化人類学者の女性の著作で素晴らしい良書である。現在絶版になってしまったのが本当にもったいない。
わたしはこの本を読んで、初めて童話のような憧れの砂漠ではなく、そこに住む人たちや文化についてより主体的に興味を持つことになった。
この本は筆者がフィールドワークの一貫として滞在した遊牧民との生活や文化を学術的な固い記述ではなくわかりやすい文章で綴ったものであり、もう60年も前になってしまうが、遊牧人がどのような価値観でどのような社会を築いていたかが活き活きと伝わってくる。著者が女性のため女性世界が中心ではあるが、厳しい砂漠という環境で遊牧民族がどう感じて何を考えて一日を過ごしてくるかが本の中に書かれているのである。
その中で特にわたしが惹きつけられたのは、夜に彼らがする遊びである。日光が過酷に照らされるこの環境下では、早朝か夕方以降が主な活動時間帯になるという。特に涼しくなる夜には男女でわかれた天幕でお互いに声を掛け合って遊ぶというのだが、それがなんと即興の歌だというのだ。もちろんメロディがあるような歌ではなく、恐らく節をつけて韻を踏むような即興のセリフだと思うのだが、男性が歌で誘うと女性もそれに即興の歌で応えていくというのだ。
砂漠の夜に、風で飛ぶ砂を避けるためにベールをかけた女性たちが、誘いの言葉に即興の歌で応える、それらを楽しむとはなんて素敵でロマンチックなシーンだろう。
右から左に書くという、どのように記述するかも想像がつかないような、まるで砂の上に風が記したような流線的なアラビア文字。それが言葉となって歌となってコミュニケーションするという昔からの営み。正しくアラビアンナイトの世界! わたしの中でより具体的な遊牧民への憧れが増長されたきっかけとなる本だ。
憧れは募るものの実際に砂漠のある国へ旅するのは何年かあとになる。
その後更に色々本を読むうちに、砂漠や遊牧民族というより、イスラムの美術や文化そのものに興味を持ったわたしは、いずれイエメンへ行ってみたいと強く思うようになった。
イエメンはアラビア半島に位置する小さな国ではあるが、鎖国的で古いイスラム文化を残したままの、日本の江戸時代のような国といわれている。
そんなイエメンをわたしに教えてくれたのは、全く別の場所で知り合ったイスラム文化が大好きな友人ではあるが、彼女が前述した片倉もとこさんの教え子だったというのはなんという偶然かと思った。
海外協力青年隊でエジプトに応募するようなイスラム文化大好きな彼女に触発されイエメンへの訪れを考えていたわたしだったが、今まで欧米しか旅したことがなく急に馴染みのない、しかもかなり伝統的といわれるイスラムの国へ旅をすることには戸惑いがあった。
そのためにまずアラブ文化への導入として、一人でも旅のしやすそうなモロッコに行くことにした。観光客にとって優しいモロッコやトルコに訪れてからイエメンに行こうと考えたのだ(もちろん、モロッコもトルコも行ってみたい国だった)。
そして念願のモロッコへの旅を果たした。モロッコ旅行の楽しさはここでは割愛するとしていくつか印象に残った景色を書いていく。
伝統的な革職人が働く街の鮮やかな染色と革の匂いの強烈さ。バザールの人混みと見たことのないカラフルな香辛料や異国的な香り。頭からとろけるかと思うくらい甘い甘いミントティと昼間と比べものにならない寒さ。マラケシュの屋台が並んだ広場で売られた羊の脳みそとそれに群がる男性たち、そして蛋白な珍味の慣れない味わい。ナウシカのモデルとされてずっと憧れていたベルベル人と親しくなれたこと。
そして一番心に残っているのがフェズの外れであったお年寄りたちだった。老人たちは着古した伝統的な衣装を身にまとい、それまでみたことのないような、厳しい砂漠の環境と強い日光によって刻まれた深いシワがあった。そして現地の人しか入れない伝統的なムスクの隙間から、老人たちがモスクの外庭に座り込み瞑想もしくは祈りを捧げている姿を見ることができた。その垣間みた光景は得も言えぬほど崇高で美しく心を打たれた。とても写真を撮ることができずこの光景を言葉でしか説明できないのが残念だが、あの深い年輪を顔に刻んだ老人たちが、少し天を仰ぎながら目を閉じて身じろぎもせずに座り込んで祈る姿は厳かで、とても神聖だったのだ。外なので風が彼らの服を少したなびかせている。その凪る衣装と微動だにしない老人の静と動はそこだけ時が止まっているような光景だった。
さて女性が一人で行動する文化のない国なので、特に観光場所を外れると女性一人旅は注目は浴びたがそれでもイスラム文化の優美さは堪能できた。またイスラム文化での女性の位置も肌で感じることができた。
このあとにトルコにいきそしてイエメンにいこう、と計画していたわたしだが、結局それは未だ果たせていない。主な理由はイスラム国の台頭によりイエメンの治安が悪化したこと、そして仕事が忙しく、なかなかプライベートに長い休みが取れなくなってきたことなどがある。だがいつの日かはまずトルコから再開し、いずれイエメンを訪れたいと今でも思っている。最近開放路線をたどり始めたあの国の古い文化が残るうちに。
この写真は実は日本。東京にある日本で一番大きなムスク東京ジャーミィ。このころはモノクロ写真にこっていたので白黒しかないのだけど、カラーでとりにまた再訪したい(髪の毛を隠せば信者でなくても入室可。ただし男女別にわかれている)。



今わたしの身近に最もある旅の名残は料理である。
モロッコで覚えたタジン料理やトルコの茄子とヨーグルトのサラダをアレンジした我流のサラダだ。大好物なクミンとパクチーがたっぷり味わえること、最近は材料も気軽に入るので、茄子が美味しい時期はよくつくる。
作り方は手軽で簡単だ。大量に作って冷蔵庫に保存し小腹がすいたときにつまむのにぴったりだ。
まず焼き茄子の皮と剥いて残った茄子の身を刻んでペースト状にする。そこに基本の味付けとしてクミンパウダーをたっぷりかけ、それからにんにくペーストを好みの量で入れて、最近スーパーでも普通に見かけるようになったギリシャヨーグルトを入れてよくかき混ぜる。ある程度材料が混ざったら、塩で味を整える。酸味が欲しければレモンを追加しても香りがたって良いし、オリーブオイルや砕いたナッツとは抜群に相性がいい。わたしはそこに好物のパクチーはたっぷり入れる。特に生のパクチーを刻んで入れるとクミンの香りと相まって異国情緒を漂わせ、そして味わい深くなり美味しい。だいたいはこれが基本のレシピになる。
あとはそのときにある材料を適当に追加するが、玉ねぎのみじん切り、気分によって小さくキューブ状に切ったきゅうりや、軽く湯がいて1,2cmに切ったパプリカ、半分にしたミニトマトが合うと思う。
塩味のヨーグルトは、あまり普段の食卓に馴染みがないが、クミンやコリアンダーを合わせると途端に異国の香りのする美味しい料理になるので機会があればぜひ食べてほしい。またトルコ料理のお店にいくとヨーグルトサラダとして出てくるものも近いかもしれない。
#右のはクミンを使った他の料理。某通販サイトのメニューにあっておいしかったのでアレンジしてよくつくっている。ゆでたジャガイモと少量のカボチャをつぶして、角切りにしたビーツとオリーブをあえる。細かくしたサバを混ぜて、塩で味付け。クミンをたっぷり混ぜておくとおいしい。サバは最近某輸入食品やでも、スーパーでもパウチの少量サイズが入るので重宝してる。


